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ランボルギーニとは

ランボルギーニ

ランボルギーニとは、イタリアの超高級スポーツカーメーカーです。
一般的にいう所のスーパーカーと呼ばれるカテゴリーに属する車であり、同じイタリアのフェラーリと並んで世界的な名車と言われています。
特にフロントノーズ部分に埋め込まれたエンブレムは、ファイティングブルの異名通り、暴れる牛がデザインされています。
かつて1970年代に日本中で巻き起こったスーパーカーブームの中では、ランボルギーニ・カウンタックの代名詞である跳ね上げ式のドアと、地面に吸いつくようなスタイリングが相まってスーパーカーの中のスーパーカー。
まさにスーパーカーの王様として、圧倒的な人気を誇りました。

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ランボルギーニを作った人は?

このランボルギーニを作った人は、イタリア人のフェルッチオ・ランボルギーニです。
フェルッチオ・ランボルギーニは、第二次世界大戦後に当時イタリア軍が所有していたトラックの放出品を、民間用に改造して販売するビジネスモデルを始めました。
その後、トラックに続いて今度は農業用のトラクターを自社開発し販売するというビジネスモデルを展開し、大成功を収めました。
トラック事業に、トラクター事業にと大成功を収めたフェルッチオ・ランボルギーニは、大富豪になりついにはイタリアの名車フェラーリを手にしてオーナーになりました。
ところが、せっかくフェラーリを手に入れたものの、当時のフェラーリはクラッチ部分に故障が多かったのです。
あまりの故障に耐えかねたフェルッチオ・ランボルギーニは、ある事を思いつきます。

「そうだ!わが社にはトラクターの製造工場があるじゃないか」

「だったら自分の会社の工場にこのフェラーリを持って行って、自分で修理してしまおう」

そう考えたフェルッチオ・ランボルギーニは、自分の所有するフェラーリを、自社のトラクター製造工場に持っていきクラッチ部分を分解してみました。
ところがクラッチを分解したフェルッチオ・ランボルギーニは、驚きの光景を目にします。
何と!フェラーリのクラッチ部品は、自社の工場で生産していた農業用トラクターのクラッチと同じ部品を使っていたのです。
しかもお値段も10倍というありさまでした。
フェルッチオ・ランボルギーニは、自身がメカニックであった事から、自分の手でフェラーリのクラッチ部分の不具合を直してしまいました。
その時の経験からフェルッチオ・ランボルギーニにはある事が頭をよぎりました。

「トラクターで使っているようなパーツでさえも10倍の値段で売れるという事は、このスーパーカーを自前で作ったらこの商売はもうかるのではないか!」

そう考えたフェルッチオ・ランボルギーニは、さっそく乗用車生産の準備に取り掛かり、1963年トリノショーにランボルギーニの乗用車第一号となる350GTVを発表します。
そしてその350GTVを市販用に改良した、350GTを翌年の1963年に発売し、ここにのちに世界のスーパーカーメーカーとなるランボルギーニが誕生しました。

フェルッチオ・ランボルギーニとエンツォ・フェラーリの本当の仲は?

ランボルギーニとフェラーリは、同じイタリアの高級スポーツカーメーカーであり、ランボルギーニのエンブレムは牛。
そしてフェラーリのエンブレムは馬と、何かとライバル視されて見られがちです。
もちろん自動車メーカーとしては競合メーカーなので、ライバル視されても当然です。
ですが実際のオーナー同士の中は一体どうだったのでしょうか?
一般的にあまり仲が良くないイメージで語られがちですが、実際にはランボルギーニの創業者であったフェルッチオ・ランボルギーニと、フェラーリの創業者であったエンツォ・フェラーリは、4回ほど会談しています。
本当にフェルッチオ・ランボルギーニとエンツォ・フェラーリの二人が、仲が悪く険悪だったとしたならば会談を4回も行うはずがありません。
実際には世間のイメージのように実際には二人の仲が険悪だったという事は無いようです。
どうしてもランボルギーニとフェラーリは、何かとライバル視される事が多いので色んな噂話や、話に尾ひれ等がついて二人が険悪なイメージだったように語られるようです。